History


長崎とロシアと琥珀の関係

■長崎とロシアの関係
長崎とロシアの関係は、1804年9月6日長崎入りしたレザーノフ使節が、ナジェジダ号で来航したことに始まります。次いで日本の幕末、1853年7月18日にロシア極東艦隊司令長官プチャーチン使節が、軍艦4隻を率いて来航し、長崎奉行は稲佐悟真寺に上陸を許可しました。ロシアと通好条約、修好条約を結び1858年9月以後、稲佐郷、平戸小屋郷浜手、船津浦など広範囲にロシア艦船修復地、海軍士官、兵士の宿舎などがありました。
この時期、俗にオロシァと呼ばれた程、深い関係にありました。そして幾多のロマンスも生まれました。
■長崎と琥珀
1961年(昭和36年) 当社(垣立工芸品株式会社)に100Kgの琥珀原石が持ち込まれ、装飾品として利用できないかと試行錯誤していた折、長崎の伝統工芸品であるべっ甲職人たちが苦労を重ねて製品化に成功し現代の装飾品として日本各地に紹介されました。いわば長崎は我が国の琥珀工芸の発祥の地と言えます。
1964年(昭和39年)4月 当社がソビエト連邦アルマズ・ユベトルエクスポルトと琥珀製品及び原料の専売権契約を設立。我が国で1社の製造と販売に着手しました。

※垣立工芸品株式会社は1964年に世界最多量、最良質の琥珀の産地で有名なロシア連邦(旧ソ連)から戦後初めて我が国へ琥珀を輸入、紹介して以来50年以上にわたって、我が国の琥珀市場の育成、発展に地味ながら貢献してまいりました。当社は琥珀という素材だけてなく、この素材にまつわるヨーロッパや日本の歴史、伝統、文化、芸術、技芸など情報の紹介、啓蒙、または考古学、地質学、生物学の学会への学術的資料や情報の提供に協力してまいりました。これを機に有機質天然素材「琥珀」の持つ、独特の優しさとまろやかな人肌のぬくもりを多くの方々にご紹介出来れば幸いです。

↓